まるころブログ。

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- バカでいたい -

アメリカの大学に通ってるってすごいの??

先日、日本に一時帰国してから、東大生、京大生と交流する機会があった。言わずと知れた日本の2トップの大学だが、そんな彼らの目に、アメリカの大学に通っている日本人(=筆者)はどのように映っているのだろうか。

日本の二流高校に通っていた筆者には、東大生京大生の知り合いは1人もいないため、そんな彼らと交流するのがかなり楽しみだった東大生京大生は普段どんな生活をしているんだろう、など、どんな質問をしようかワクワクしながら集合場所に向かっていた。

 

まず、初対面だったので自己紹介をした。それぞれの通っている大学、名前などの簡単な情報を交換し、一段落つき筆者は彼らの私生活を探ろうとしたのだが、そんな余裕もなく、矛先は真っ先に筆者に向き、筆者が質問攻めを受けた。「何勉強してるの?」「英語は問題ない?」「どんなところ?」などなど、ありきたりの質問だったが、東大生京大生を差し置いて、アメリカの大学生である筆者が注目の的になったのだ。そして意外や意外、東大生京大生の筆者に対する反応は、他の大学生、社会人と全く同じで、とにかく筆者の生活や経緯について徹底的に質問をしていた。

そんな中、筆者が1番驚いたのは東大生や京大生に、「すごい!」「アメリカの大学難しそう」「かっこよ」「英語ペラペラなんだ〜」「将来有望だね」「おれなんてとりあえず京大行ってるだけだから〜」など、あたかも筆者の方が東大生京大生よりも上の立場かのような反応をされたことだ。どうやら彼らにとってアメリカの大学に進学するということは、東大京大に進学することよりもすごいことらしい(実際は全くそんなことはないが)。

筆者からしてみれば、筆者自身が日本の大学受験から逃げてアメリカに進学したようなところがあるので、東大生京大生と聞くだけで、恐れ入ります、と感じてしまう。実際、筆者が高校2年生のときの志望校は早稲田大学で、そもそも東大京大を志すレベルにすら達していなかった。そんな全く手の届かないところにいた天才集団に、筆者が今ではここまで褒められ、憧れられているのは不思議な感覚である。

 

今回の交流でわかったことは、アメリカの大学に通っていると、東大生京大生と対等もしくはそれ以上のイメージをもってもらえる。筆者自身も何故なのかはよくわからないが、日本にいると、アメリカの大学に通っていると言うだけで、周りの人の注目を集めることができ、誰よりも真っ先に興味を持ってもらえる。どうやら日本国内では、アメリカの大学に通っていると言うことはすごいことのようだ

周りの人の注目を集めることができ、すごいすごいと褒めてもらえるのは嬉しいのだが、正直それがプレッシャーであることもまた事実だ。実際自分で入学してみてわかったが、アメリカの大学に通っていることはそこまですごいことではない。勇気とお金さえあれば、誰でも実現可能なことである。しかし、日本では外国の大学に進学している人が少なく、珍しいのですごいすごいと言われる。アメリカの大学に進学した勇気を褒めてもらえるのは素直に嬉しいのだが、アメリカの大学に通っていると言うだけで筆者を過大評価されるのは時々プレッシャーになる。

 

東大生や京大生に会って話してみて、彼らは特別ではなく普通の大学生だ、と感じたことがある人もいるだろう。実際、今回彼らと交流してみて、筆者もそう感じた。これと同じように、アメリカの大学に通っているやつだって、案外普通だったりする

 

 

正直、筆者自身、珍しがられることは承知の上で決意したアメリカへの学部留学だったので、すごいすごいとひたすらに言われることは覚悟していたが、まさかあの天才集団の東大生京大生からもそのような対応をされるとは思わなかった。それだけ、アメリカの大学に通っているということのインパクトが強く、それがすごいことというイメージを持っている人が多いということだ。そんなイメージに負けないためにも筆者は改めてその事実を受け入れ、自覚していかなければいけないのかもしれない

 

 

まあみなさん、期待しすぎないで!