進撃の巨人1期の主題歌「紅蓮の弓矢」と2期の主題歌「心臓を捧げよ」の一部がほぼ同じだった。これに意味はあるのだろうか。考察してみよう。
「紅蓮の弓矢」と「心臓を捧げよ」の類似点
この2曲は基本的には似ているだけで、違う曲なのだが、一部だけほぼ同じ曲調の部分がある。
とりあえずこの動画を見てみてくれ。(いつ削除されるかわからないので、早めにご覧ください)
いかがだっただろうか。同じ曲と言っても過言ではないだろう。(←過言)
「心臓を捧げよ」の方がテンポが遅いので、少し違うようにも聞こえるが、テンポを合わせたらぴったり同じになることはこの動画を聞いたら予想できる。
一体これは偶然の一致なのだろうか。
おそらく偶然ではないだろう。「紅蓮の弓矢」と「心臓を捧げよ」を作詞作曲している『Linked Horizon』という音楽グループは進撃の巨人の主題歌を数多く手がけているが、この2曲に限らず類似している曲は他にもある。そう考えると偶然の一致という説は考えにくいだろう。
だとしたら、この一致には何か深い意味があるのだろうか。それともただ単に同じ曲調を入れて視聴者を盛り上げているだけなのだろうか。
進撃の巨人を代表する2曲にここまでの類似点があるとなると、深い意味があるのではないのか、と疑いたくなってしまう。
ということで、考察してみよう。
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類似点には意味があった!!(まずは歌詞の解釈)
まずそれぞれの歌詞を復習しよう。
類似している”ダダダダッダ、ダーダダダッダ” の部分の歌詞は、
「紅蓮の弓矢」
- 0:21辺り
Seid ihr das Essen? Nein, wir sind der Jäger!
これはドイツ語。「お前達は獲物か?いや違う、俺たちは狩人だ!」と和訳できるらしい。もう少し分かりやすくいうと、
巨人『お前達は獲物なの?食べてやるわ』
調査兵団『ちげーよ、俺らは狩人だよ!お前ら駆逐してやるわ』
ということだろう。
- 1:08辺り
囚 われた屈辱 は
これはそのままだ。巨人に追い詰められて壁の中に閉じ込められている人間の屈辱ということ。
-
4:20辺り
架 せられた不条理 は
これは難しい。
「架せられた」という言葉はあまり聞いたことがなかったので調べてみたところ「架する」という動詞が変形したもので「(橋などを)高いところに掛け渡す」という意味があるとのこと。
「不条理」というのは「理不尽」と同義なようだが「理不尽」とは違って、「宇宙などによって定まる絶対的で、道理に合わないこと」を差すらしい。
ここからは完全に筆者の推論になるが、上の説明から「架せられた不条理」というのは直訳すると「高いところに掛け渡された、絶対的で、道理に合わないこと」になる。これを進撃の巨人の内容に合わせて考えると、2パターンの解釈が考えられる。
- 「人類にはどうにもできない、人を見つければ食べる、という巨人に支配されている恐怖」
- 「外の世界を遮り、人類に希望を持つことすら許してくれない、高い壁」
筆者が考えた解釈はこの2つのみだ。この記事では「架せられた不条理」にはこの2つの解釈があるとして話を進めていく。
「心臓を捧げよ」
- 4:23辺り あの
日 人類 は思 い出 した
これはかなりストレートな表現。
では一体何を思い出したのだろうか。この次の歌詞は「奴らに支配されていた恐怖を、鳥籠の中に囚われていた屈辱を」となっている。つまり、思い出したことは、
- 巨人に支配されていた恐怖
- 壁の中に閉じ込められていた屈辱
の2つで間違いない。
類似点には意味があった!!(そして考察1)
まず、時制に関してだが、
「紅蓮の弓矢」はシーズン1の主題歌、そして歌詞が現在形ということから、人類が壁の中に閉じ込められていて、まだ壁が破壊されていないときを指すと考えられる。
「心臓を捧げよ」はシーズン2の主題歌、そして歌詞が過去形ということから、壁が破壊されて、人類が巨人に復讐をし始めた後を指すと考えられる。
と、考えると、
上の類似点で挙げた紅蓮の弓矢の「囚われた屈辱」と、心臓を捧げよの「壁の中に閉じ込められていた屈辱」(←人類が思い出したこと)は同じことを指すのだろう。
そして、そう考えると紅蓮の弓矢の「架せられた不条理」と、心臓を捧げよの「巨人に支配されていた恐怖」というのも同じことを指しているに違いない。つまり先ほど挙げた「架せられた不条理」の2種類の解釈のうちで正しいのは「人類にはどうにもできない、人を見つければ食べる、という巨人に支配されている恐怖」の方だと考えられる。
筆者に文章構成力が無いせいで、だいぶごちゃごちゃしてしまったが、筆者が言いたいことをわかってもらえただろうか。
シーズン1の主題歌の時制(=人類が壁の中に閉じ込められていて、まだ壁が破壊されていないとき)では当たり前のように感じていたこと(=巨人に追い詰められて壁の中に閉じ込められている人間の屈辱、人類にはどうにもできない巨人に支配されている恐怖)を、自分たちが巨人に反撃を始めることで忘れかけていたが、シーズン2の時制(=壁が破壊されて、人類が巨人に復讐をし始めた後)のあの日(どの日を指すのかはわからない)にその忘れかけていたことを思い出した。
↑この赤字を100回くらい読んでくれ。ここに全てを詰め込んだつもりだ。
つまり、「紅蓮の弓矢」と「心臓を捧げよ」は『昔は当たり前のように感じていた屈辱と恐怖が時間が経ってまた思い出される』という意味で繋がっていると考えられる。よね?
類似点には意味があった!!(そして考察2)
次に、例のドイツ語について。ここまで一切触れてこなかったが、このドイツ語も類似している歌詞の1つだ。忘れ去ることはできない。
ここまでの「紅蓮の弓矢」と「心臓を捧げよ」の繋がりをこのドイツ語(←「俺たちは獲物ではなく狩人だ」という意味)にも当てはめてみると、
「俺たちは獲物ではなく狩人だ、ということを思い出した」となる。
無理やりこれを解釈すると以下のようになる。
シーズン1の主題歌の時制では巨人に獲物だと思われていた人類だったが、反撃を開始して自分達が狩人だという自覚を持ち始める。しかしその後、獣の巨人によって襲撃され、人類は再び獲物のような扱いをされることになる。そんな状況のシーズン2の主題歌の時制では「自分達は狩人なんだ」ということを思い出して、反撃を続けなければならない。
いかがだろうか。無理やりすぎて理解しにくいかもしれないが、個人的には上出来だ。理解できるまで読み返してくれ。
まとめ
はい、無理やり考察して「紅蓮の弓矢」と「心臓を捧げよ」を結びつけましたごめんなさい。
確かに今回の筆者の考察はだいぶ無理やりで、信憑性に欠けるが、参考にはなるはずだ。「紅蓮の弓矢」と「心臓を捧げよ」の間にはなんらかの関係があると考えても全くおかしくは無いので、筆者の考察を参考に、今これを読んでいるあなたがこの2曲に関する新しい説を考え出してくれると嬉しい。何か思い浮かんだ時にはコメントで知らせてくれ。
こんなによくできた素晴らしいアニメなんだから、主題歌にだってなんらかの関係があるに違いない!!
「紅蓮の弓矢」と「心臓を捧げよ」をひたすら聴きまくって、なんでもいいから気になることを見つけ出して!!
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アニメは考察している時が一番楽しい!