「今日の滝沢カレン」第六弾。
今日も彼女の不思議な日本語を読み解いていく。
6月19日 Instagram
今回はここ数日の長文に比べればだいぶ短め。この写真は外国人感がすごい。キャップがお似合い。
では1文1文読み解いていく。
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みなさん、こんばんは😌✋🏻 今日もまだまだお仕事な私です🌙✨
こんばんは。 え!?まだ仕事してるの!?この投稿夜の11時とかのやつだけど。お疲れ様。
さて、本日はなかなかすることないだろうが、最近プレゼントでもらったからには使わない手はないという感覚で、帽子を被ることが増えました👒✨
「普段はあんまり帽子は被らないけど、せっかくプレゼントしてもらったんだから使おうと思い、最近は帽子を被ることが増えました。」 ということ。
まず「することがないだろうが」が気になる。「することがない」のは自分自身なのにも関わらず、「ないだろうが」と推論している。自分が普段から帽子をよく被っていたのかどうかは定かではないということだろうか。
そして「本日は」で始まって「増えました」で終わる不思議な文章。ここで「本日は」って言うなら「最近は」だろ!と言いたくなるのもわかるが、彼女の文章がしっかり句点と句点の間で成り立っていると思うのがそもそも間違っているのだ。彼女の文章は常に流れている。
毎日同じような感じでそこら中を歩いてます😅🌟
よーし筆者も歩き回ろう。お会いできたら色々聞かせてください。
決して「見つけないでください✋🏻」やら「太陽が嫌いだ✋🏻」なんて簡単な理由でなくて、オシャレとして被るようになりました💓とても清々しいです🌿✨
あれ、普通だぞ。普通に理解できてしまう。
まあわざわざ「太陽のことを嫌いじゃない」 ということを言っているあたりが彼女らしい。空にも雲にも太陽にも、何に対しても気遣いができるのが滝沢カレンの魅力だ。
そんな帽子話はおいといて... ここは力んでお伝えしたいので、言ったって明日も来ますが、明日は日本テレビさんにて、拍手横目のさんまさんが主役の番組「踊る!さんま御殿‼︎」に出場します🙋🏼🎶😌💎
「帽子の話ではなく、無理やり今ここでお伝えしたいのは、 明日、あのさんまさんがMCを務める番組に出場します。まあまた明日もお伝えしますが」
安定の「出場」報告。この文章の気になる点といえばやはり「拍手横目」だろう。なんだそれ。少なくとも筆者はこの言葉は聞いたことがない。個人的には「拍手横目」に似た何か別の言葉と言い間違えた気もするが、筆者に知識がないためそれが何かはわからなかった。たとえこれが言い間違えだとしても、彼女がこの文章を投稿している以上、「拍手横目」が正義なので少し考えてみる。
⚠️筆者全力の絵です。わかりにくいとは言わせない。
まあこの絵の通りだ。これが「拍手横目」というものだ。横目で何かを見ながら控えめに拍手をしている。おそらく彼女がこの四文字熟語で伝えたかったのは「さんまさんがすごすぎて横目で拍手しているだけの控えめ滝沢カレンになってしまう」ということだろう。
また遅いだの、録画し忘れただの、ハッキリ言ってくる方を丸め込むためにも、先にお伝えして、明日も言うようにしますね✨😉♥️(いい意味)
おそらくここ最近のInstagramの番宣がその番組の放送時間直前だったせいで、「遅い」だの「録画し忘れた」だの苦情がたくさん来ていたのだろう。そんな心の狭い人たちにも一切文句を言わず、むしろその人たちのために放送前夜にも番宣をしてしまう優しい優しい滝沢カレン。文句なんて言わないであげてほしい。
「(いい意味)」というのも彼女の優しさだろう。勘違いされないように最後まで気配りをしている。
居間に来てるんだったのなら、そこは、お互い歩み寄りましょうね👣💛🎶
素晴らしいお言葉。文句を言われている滝沢カレン自身が歩み寄って来てくれているのだから文句を言っていた人たちも素直に歩み寄ってあげるべきだ。
「眉間に来ている」という表現も好き。スマホでInstagramを見ながら文句を言っている人の表情が見なくても頭に浮かぶ。
そこでみなさま、録画し忘れた✋🏻なんて間違っても言うのは500%よしてください✋🏻💫
もう一度言います。500%よしてください🤚
(ちょっと今回の文章普通に理解できちゃうぞ、あんま解説することないんだが...)
そしてなんなら、録画でなくて、しっかりその場で観てくれたら幸せです😍🙇🏼☺️ よろしくお願いしますね💛😌 それでは、さよなら☺️💛
筆者は録画になりそうです。ごめんなさい。さようなら、また明日。
本文はここまで。以下タグ↓
#明日はさんま御殿です #それを伝えたいがための今日明日 #大切なことはいつも近くに #気付かないとは言わせない #気付かないのではなく感じてないだけ
ただの番宣かと思いきや、いつも通り名言が添えられている。おそらく今回の文章の内容について言っているのだろう。しかし「感じていないだけ」というのがどういうことなのかがいまいちわからない。滝沢カレンは文句を言っていた人たちに何かを感じてほしいのだろうか。
まとめ
ここで「今日の滝沢カレン6」は終了だ。
今回は比較的理解しやすい文章が多く、筆者が解説を入れる必要もないことがほとんどだった。まあ理解しやすいことはいいことなのかもしれないが、筆者からすると少し寂しく思ってしまう。
そして今回は普段の滝沢カレンの投稿時間の遅さに文句を言っている人に対する文章だった。どんなに文句をいう人に対しても自分から歩み寄っていく彼女の優しさがとてもよく表れた文章だったと筆者は思う。
さようなら、また明日。
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