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【滝沢カレンの日本語を解読!】今日の滝沢カレン3 - 6月15日

「今日の滝沢カレン」第三弾。

今日も彼女の不思議な日本語を読み解いていく。 

 

 

なにこの記事。と思ったそこのあなた。このシリーズについてはこちら↓

www.marukoro7.com

 

 

 

6月15日 Instagram

 

「やったー❗️今日の夜ご飯はオムライスだぞ❗️」という声が密かに聞こえて来そうな落ち暮れ時...🌇 耳の機能をフル活用してもらえば、素敵な夕飯の取り合いが聞こえてきます😌💛 みなさん、お元気ですか❓😉 わたしはもちろん元気でして、毎日本当に色々な角度からお仕事させて頂いています🙇🏼💕💛❤️ 毎日毎日が花びらのような一日で、とてもじゃないですが花びらが散るのではなく、毎日新しい花びらが身体を覆うようにして生えてると言ったとこです🌻🌼🌷 底の底から根底を促す日数が何日かありまして、身体に歯止めを刺して仕事をドカドカする無心さも好きですが、ふと身体を正して脱離して人生の意味を知ることもすごく好きでした😊♥️ この時代でこのタイミングであの親からこの地に生まれてきた私にはなんの理由があるんだ🤔と割とすぐ駅のホームで考え出し止まらない揺さぶりになります💎☄️✨💫 毎日さまざまな想像をしてはいつの間にか忘れ、寝てみりゃ夢を見るという、いっぺん考えられないような生活してますが、改めて最近の楽しさを飲み込めました💃🏼💕 自分には自分の道があり、他の方の道に我が食わぬ顔で歩くことは許されないお堅いこの世界がやっぱりいちいち私のツボにハマり、のめり込む、今日も人間という生き物に....🌞✨ #努力することがある嬉しさ #努力中に感じることは難しいがいつかきっと思うのだ #何かのために頑張る素晴らしさを #ただ生きている人なんていないのだと #身体にあるもの全てをフル活用してみると #たくさんの課題が転がりまくっている

滝沢カレン/karen takizawaさん(@takizawakarenofficial)がシェアした投稿 -

かわいい系の写真と共に添えられている文章はいつにも増して長い。今回の記事も長くなりそうだ。

では、1文1文分析していく。

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「やったー❗️今日の夜ご飯はオムライスだぞ❗️」という声が密かに聞こえて来そうな落ち暮れ時...🌇

今日の入りは挨拶ではないようだ。イントロかな?

最初からエンジン全開の滝沢カレン。この写真の投稿時間である3時半を表す文章なのはわかるのだが、その表現が独特すぎて一般的な人には1回読んだだけでは理解できない内容になっている。

確かに仕事や学校が終わりに近づいた3時半というのは、その日の夕飯が楽しみになる時間でもある。そんな時間に今日の夕飯がオムライスだと分かれば、彼女のようにテンションが上がること間違いなしだ。と、最初の鉤括弧のセリフは理解できるのだが、問題はそのあと。「密かに」なのだ。夕飯のオムライスを喜ぶ声が「密かに」聞こえてくるのだ。彼女の文章中ではオムライスの喜びを表すビックリマークが付いているので、明らかに鉤括弧のセリフはハイテンションで大声である。そんな喜びの雄叫びが「密かに」聞こえて来そうな3時半。筆者はまだその3時半は経験したことがない。このシリーズを続けていればいつかわかる時がくるかもしれない。

そして最後。「落ち暮れ時」という表現。少なくとも筆者はこの表現を人生で初めて聞いた。おそらく滝沢カレンオリジナルの新語だろう。ここからは完全に筆者なりの解釈になるが、筆者は3時半の太陽の位置を上手く表した表現だと思う。

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もちろん落ち暮れ時の午後3時半の方が、夕暮れ時の午後6時よりも太陽の位置が高い。つまり午後3時半の太陽は、「落ちて暮れそう」な位置にあるのだ。それゆえに午後3時半は「落ち暮れ時」と呼ばれる、のだと筆者は考える。

 

耳の機能をフル活用してもらえば、素敵な夕飯の取り合いが聞こえてきます😌💛

これもまた難しい。「午後3時半でも耳を澄ませればどこかから夕飯に橋をつつき合う音が聞こえる」ということなのか?しかし文章の流れ的にも、午後3時半という時間的にも、この文章は「耳を澄ませば、どこかからその日の夕飯を何にするかの家族の言い争いが聞こえてくる」と捉えるのが無難だろう。素晴らしい表現だ。午後の3時半をここまで美しく表現できるのは滝沢カレンしかいないだろう。

 

みなさん、お元気ですか❓😉 わたしはもちろん元気でして、毎日本当に色々な角度からお仕事させて頂いています🙇🏼💕💛❤️

と、ここで挨拶。個人的な話かもしれないが、筆者は「お元気ですか」という日本語にはいつも違和感を覚える。日本人も挨拶は英語のまま「How are you?」でいいのでは?

滝沢カレン自身が元気である報告をはさんで、そのあとに色々な仕事をさせてもらっていることへの感謝を表している。

「色々な角度から」という表現。後ろにくる言葉が「アプローチ」だったら違和感はないのだが、滝沢カレンがその後ろに置いた言葉は「お仕事」。まあわからなくはない。彼女の仕事柄、色々な仕事をすることが多いだろうし、仕事に対する姿勢もあらゆる角度からアプローチできるようにならないといけないのだろう。←無理やりまとめたせいで筆者自身が理解できていない。まあとにかく、色々な仕事をしているのだろう。

 

毎日毎日が花びらのような一日で、とてもじゃないですが花びらが散るのではなく、毎日新しい花びらが身体を覆うようにして生えてると言ったとこです🌻🌼🌷

彼女の仕事柄、色々な仕事をすることが多く、毎日のように新しい経験を積んでいるのだろう

と、言いたいことはわかるのだが、その表現がまた独特なこと...彼女にとって花というのは散るものではなく、どんどん花びらが生えて増えていくものなのだろう。今流行りの美女と野獣の設定をも覆す美しい考え方だ。しかも彼女は毎日新しい経験をして、新しい花びらで体を覆っているらしい。経験を積めば積むほど、花びらが増えれば増えるほど、美しくなること間違いなしだ

「とてもじゃないですが」の使い方が少し気になる。一般的には語尾に「できない」を付けて、「恐れ多くてできない」といったような意味を作るイメージがあるが、彼女の文章では明らかに違う。筆者なりに考えてみたところ、おそらく彼女は「とてもじゃないですが」という言葉を「まさか」と同じような意味で使っている。「花びらといってもまさか散る訳ではなく、」という意味の文章だとしたらこの解釈が妥当だろう。「とてもじゃないですが」のこの使い方、覚えておこう。

 

底の底から根底を促す日数が何日かありまして、身体に歯止めを刺して仕事をドカドカする無心さも好きですが、ふと身体を正して脱離して人生の意味を知ることもすごく好きでした😊♥️

わかんねええええええええええええええええええええええええええええええ。この1文は難しい、本当に。筆者なりに意訳をすると、

ここ数日色々なことを考える日が続いて、私は、深く考えずにひたすら仕事をこなすことも好きだけど、たまに冷静になって自分の人生を振り返ることも好きだ、ということに気がつきました

このようになる。仕事ばっかりしてないで、たまには自分の人生振り返ることも大切だということを伝えようとしているのだろう。このことを伝えるのにここまで複雑な表現を使えるのは、やはり滝沢カレンだけだろう。

「底の底から根底を促す」なんだこれ。難しい。「根底を促す」なんて聞いたことがない。おそらく「促す」というのは「見直す」という意味にもなるのだろう

「身体に歯止めを刺して仕事をドカドカする無心さ」またまた難しい。身体に歯止めをかけて、無心になってしまったら何も残らないのでは?と思ってしまった筆者だが、それでは甘い。おそらく彼女が言いたいのは、「仕事しかできないように身体を縛って他のことに関しては無心になる」ということだろう。

「身体を正して脱離して」またまたまた難しい。上の考え方に従うと、「仕事しかできない身体の縛りを無くして、自由になる」ということだろう。どこから「脱離して」という言葉が出てきたのだろうか、筆者には全く理解できない。

 

この時代でこのタイミングであの親からこの地に生まれてきた私にはなんの理由があるんだ🤔と割とすぐ駅のホームで考え出し止まらない揺さぶりになります💎☄️✨💫

この文章は比較的わかりやすい。滝沢カレン初級の文章と言えるだろう。まず大まかな意味としては「この時代、このタイミングで生まれた私の意味はなんなのだろう、という問いは駅のホームでも考え出したら止まらないような大きく楽しいテーマだ」ということだろう。

前半はそのままでも理解に苦しむことはないが、後半に唯一きになる「揺さぶり」という表現がある。 おそらく「テーマ」という意味だろう。彼女にとって「テーマ」は「揺さぶり」で、いつでも大きな「テーマ」にワクワクさせられているのだろう

 

毎日さまざまな想像をしてはいつの間にか忘れ、寝てみりゃ夢を見るという、いっぺん考えられないような生活してますが、改めて最近の楽しさを飲み込めました💃🏼💕

1つ前の文章のような「大きなテーマについて考えて想像してもすぐに日常によってかき消され、寝ている時にはまたスケールの大きな想像できないような夢を見てすぐに忘れる、というものすごく大変そうな生活をしているが、こうやって改めて色々なことを考えることで、最近の楽しさを実感できた」というのが筆者訳。

「いっぺん」というのは「一見」と言いたかっただけなのだろうか。筆者は他の回答を見つけられなかった。

 

自分には自分の道があり、他の方の道に我が食わぬ顔で歩くことは許されないお堅いこの世界がやっぱりいちいち私のツボにハマり、のめり込む、今日も人間という生き物に....🌞✨

いや〜またまたまたまた難しい。人間という生き物についての1文だ。 筆者の全力の意訳がこちら、

進むべき道は人それぞれで、他の人が進む方へただついていくことは許されないこの世の中がやはり私は好きで、どんどん自分独自の道へと進んでいく。今日も個性あふれる人間という生き物に乾杯!

という風になった。英文和訳でもここまで意訳したことはない。そもそもこの訳が正しいのかすらわからない現状だが、この記事ではこの意訳が正しいとして話を進めていく。

「他の方の道に我が食わぬ顔で歩くことは許されない」これは「他の人のやり方を真似ていてはいけない」ということだと思うが、まず「我が食わぬ顔」という表現を聞いたことがない。おそらく「何食わぬ顔」と同義だろう

そして、「のめり込む」一体どこにのめり込むのだろうか。筆者は自分の独自性に気づき、それにのめり込んでいくと捉えたが、この5文字は様々な解釈をされうるだろう

最後が...で終わっているのはフォロワーに想像させるためだと考える。筆者は乾杯!という言葉を付け足した。

 

↓以下タグ

 

#努力することがある嬉しさ #努力中に感じることは難しいがいつかきっと思うのだ #何かのために頑張る素晴らしさを #ただ生きている人なんていないのだと #身体にあるもの全てをフル活用して見ると #たくさんの課題が転がりまくっている

普段ひたすら仕事を頑張って、たまに振り返って色々と考えてみると、自分がしていることの素晴らしさに気がつける。そしてただ生きている人なんていないんだと実感できる。それだけでなく、こうやって頭フル回転で考えているとたくさんの課題が転がっていることにも気がつく。」

文章中と違って理解はしやすくなっているが、とてもいいことを言っている。滝沢カレンのタグは名言安定である。筆者もたまには自分を振り返って見ようと思えた1文だった

 

 

まとめ

ここで「今日の滝沢カレン 3」は終了だ。

今回は難しい表現がかなり多かった。そのせいであまり正確に分析ができずに、意訳が多くなってしまって申し訳ない。内容がまとまっていたため、意訳はできたのだが、文章1つ1つの細かい単位で見ると、単語もその並びもどれも難解で、かなり苦戦した。滝沢カレンに近づくための道はまだまだ長そうだ。しかし筆者はこの自分で行くと決めた道を歩いていく

 

 

 

筆者より、

ここまで第一から第三弾まで、滝沢カレンの文章を1文1文丁寧に長文で解説してきましたが、不定期な彼女の投稿に合わせて長々と解説の記事を書くのはなかなか大変なので、時間がないときは意訳のみ(解説は必要部分のみ)の記事を書いていこうと思います。時間さえあれば今まで通りの長文記事を書こうと思っていますが、長いとごちゃごちゃして読みにくいかなとも思うので、それもまた色々実験して行きます。

 

 

 

ではまた次の投稿で。

 

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