「今日の滝沢カレン」第七弾。
今日も彼女の不思議な日本語を読み解いていく。
6月20日 Instagram
昨日言っていた通り、今日もさんま御殿の番宣。昨日の投稿をまだ見ていない人はこちら。昨日の続きということもあってか、今回の文章は短め。
では1文1文読み解いていく。
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みなさん、こんにちは🌞
予言通りまた来ました🙋🏼🌟
はい、こんにちは。待ってましたよ。
改めてまして、
本日19:56〜「踊る!さんま御殿‼︎」に出場します😍🙌🏻✨💖
ごめんなさい見れませんでした。録画で楽しみます。
相変わらずの「出場」。さんま御殿は本当に戦と言える番組だろう。「出場」という表現がぴったりかもしれない。
声を大にして言う程でもないのですが、「インテリvsノットインテリ軍団」という後の方の軍団としてあそこに座っています💎✨
「声を大にして言う程でもない」というのはどういう意味なのだろうか。筆者は「2回もInstagramで番宣して張り切るほど、 私は活躍していないのですが、」という意味だと捉えた。こう捉えると後ろの文章に合うからである。しかし、この番組をまだ見ていなくても言い切れることがある。確実に彼女はこの番組で活躍している。本人にそんな自覚はないのかもしれないが、実際は番組のペースを作っている張本人と言っても過言ではないだろう。
みなさんが、見過ごすや、寝過ごすなどの考えたくないこと防止です💕
見てくださいね😌❤️🌟
彼女はとにかくフォロワーに番組を見てほしいのだろう。この文章は1つ前の文と繋げて、「わざわざ私がInstagramで2回もこの番組の番宣をするほど活躍はしていないのですが、みなさんが見逃すことの防止としてやってます。」という意味だろう。
「考えたくないこと」とはおそらく、「彼女自身が考えたくないこと」だろう。フォロワーが見逃してしまうことを滝沢カレン本人が考えないようにこまめに投稿しているようだ。
インテリ軍団は本当に毎度毎度、考えられない角度から、ほぼ意味深なことばっかり言って来たりしてコテンパにされています☺️💦
インテリ軍団がコテンパンにされているようにも捉えられる文章だが、おそらく絵文字的にも、コテンパンにされているのは滝沢カレンだろう。
ん?逆じゃないか?
筆者は「滝沢カレンが本当に毎度毎度、考えられない角度から、ほぼ意味深なことばっかり言って来たりして、インテリ軍団はコテンパにされています☺️💦 」が番組を表現している文章だと思う。滝沢カレンにとってはインテリ軍団が凄すぎて圧倒されているのかもしれないが、筆者目線だと、インテリ軍団が滝沢カレンについていけずにコテンパンにされているように見える。
ちなみに正確には「コテンパン」ではない。彼女の文章中では「コテンパ」という表現が使われている。「コテンパ」が「コテンパン」と同義出なかったとしたら文章の内容は大きく変わるかもしれない。
でも聞けば聞くほど、今までの人生を気させるようなことばかりでみなさん見た方がいいですので😌✋🏻✨ では、よろしくお願いします💛🙇🏼💛
番宣の後押しだ。「人生を気させる」というのがどういう意味なのか最初はわからなかったが、おそらく「人生を改めて考えさせられる」という意味だろう。 そう考えると内容の意味が通る。
本文は以上。以下タグ↓
#本日はさんま御殿です #ありとあらゆる頭の持ち主と会える番組 #普通に過ごしていたら話すことすら困難な方々に会える嬉しみ
さんま御殿には本当に様々な人が出場している。あんなところに行けたら本当に色々な人と出会えて、本当に楽しいに違いない。
#人生ってなんでこんなに様々あるのだろうか #生き方一つであらゆる角度が切り替わる
「人生はなぜ人それぞれなのだろうか、一人一人の生き方がどれも違っている。」と、捉えられる名言。
哲学的な1文。確かにどのような過程で各々の人格、人生が決まっていくのかは気になる疑問だ。しかし答えを知ることは極めて困難だろう。というか、その答えを知らないから人生は面白いのだろう。
まとめ
ここで「今日の滝沢カレン7」は終了だ。
今回は本当に短かった。時間がない中、フォロワーさんが見逃さないようにわざわざ投稿してくれたのだろう。なんという気遣い。筆者も今日は帰りが遅かったので、短めで助かった。ありがとう。
今回はインテリ軍団を讃える文章だったが、筆者はインテリ軍団なんかより滝沢カレンの方がよっぽど学問的な面で興味がある。筆者は言語学者でも、そもそも文系ですらないので、言語学的な分析ができないが、いつか誰かにこの滝沢カレンの天才的文章や発言の数々を分析してもらいたいものだ。
また次回も、よろしくお願いします💛🙇🏼💛
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